棗の歴史
棗は最初から現在のような、用い方をされてきたわけではありません。
当初は濃い茶の容器である、陶器であった茶入れを納めるために用いていた
挽家と呼ばれる木地に黒漆で仕上げた物を、薄茶の入れ物として利用したのが
始まりと言われています.つまり濃茶の容器を茶入れといい、薄茶の入れ物を薄茶器と、
呼んでいたのです。その 薄茶器が棗と呼ばれれるようになったようです。
そして、濃茶を入れる茶入れに 文琳や茄子の茶入れと、肩衝の茶入れがあり
前者は棗形、後者は中次ぎ形を用いていました.
もちろん一部の例外はあるようです。 つまり濃い茶の茶入れを納める挽家が
時代の流れの中で、形に変化が生まれたくさんの棗(薄茶器)が
生まれてきたのです。その後については資料が入り次第加えて行きたいと
思います。
ウィキペディア フリー百科事典もご覧ください
ホームへ