物故作家名
名前 | 誕生地 又は居住地 | 時代 | 特徴 | 没 |
羽田 五郎 | 奈良 | 珠光時代 | 杉材を用いて主に黒漆を行う 代表作に四方形の羽田盆がある | |
記三 喜三 | 京都 | 紹鴎時代 | 棗又は中次ぎの制作が多い | |
余参 与三 | 京都 | 紹鴎時代 | 棗 中次ぎの製作が多い | 天正11年没 |
盛阿弥 紹甫 | 京都 | 利休時代 | 棗類は甲の低いのを主に作っていた 盛りの一字を底部に針彫りしている | |
篠井 秀次 | 奈良 | 利休時代 | 中次ぎ棗類の製作が多い 秀又は秀次と針彫りで署名あり | |
藤重 籐厳 | 奈良 | 利休時代 | もっぱら中次ぎを製作した人 破損個所を修理してほとんどその痕跡を止めなかったという名人 | |
近藤 道恵 | 京都 | | 塗り茶入れを主に試みた人 底部に恵みの一字を黒漆で署名している | |
満田 道志 | 京都 | | 表面に微塵の凹凸のある位地塗りを発明した人 もっぱら石州の用命を賜る | |
関 宗長 | 京都 | 元伯時代 | 法寸斎と称した この時代からもっぱら署名を用いるように なった | |
飛来 一閑 | 明から帰化 京に住む | 元伯時代 | 一閑塗りの技術を工夫 家系は現14代に及び千家十職の一人 | |
岸 一閑 | 大阪? | | 一閑塗りに従事 | |
中村 宗哲 | 京都 | 元禄時代 | 凡鳥棗を製作 三代目は漆桶 | 元禄8年没 |
五十嵐 信斎 | 初代足利義政に仕える | | 三代目に加賀前田家に召される 加賀蒔絵の祖 | |
幸阿弥 道長 | | | 室町幕府から豊臣。徳川家のご用を勤めた | |
梶川 彦部衛 | 江戸 | 寛永時代 | 印籠蒔絵に秀でた人 二代目を久次郎という | |
古満 休意 | | 寛永時代 | 幸阿弥家が振るわなくなって8代目から幕府のご用蒔絵師となる | |
古満 休伯 | | | 幕府の御用蒔絵師 五代に渡る 門下に巨柳、野村休甫がいる | |
山本 春正 | 京都 | 天和時代 | 初代は法橋となり舟木となる 茶道にも秀でていた 明治初年まで九代を数える | |
本阿弥 光悦 | 京都 | 寛永時代 | 錫や青貝を嵌入したり独自の意匠による高度の芸術作品が高く評価される | |
尾形 光琳 | | 享保時代 | 絵を常信に学び俵屋宗達を慕い青貝や錫 鉛を応用して大胆な意匠をの作品を作る又 光悦の手法を学んで光琳蒔絵尾を大成した | |
小川 破笠 | | | 漆器や木地の中に楽焼きを嵌入する破笠細工の創始者 | |
長野 横笛 | | 江戸中期の人 | 橘屋と称して武蔵野茶入れ2百個の製作がある、しかし3代目の嘉永年間に家は絶える | | |
永田 友治 | 京都 | | 青青子の号あり琳派蒔絵の名手 友治仕上げという小高蒔絵を工夫した | 安永年間没 |
原 羊遊斎 | 江戸 | | 抱一に愛され主に光琳風の作品を残している | 弘化2年70歳没 |
佐野 長寛 | 京都 | | 色漆を用いる事に堪能 器物の意匠にも長じていた 君が代棗は著名 | 文久3年73歳没 |
中山 胡民 | | | 前記羊遊斎の門下 松平不味に愛され 片輪車棗 菊雛棗は代表作 門人に松民がいる | 明治3年63歳没 |
駒沢 春斎 | | | 指物師の7代目北斎の別名 漆芸は本職ではないが、棗 家具類に見る物あり | 安政2年86歳で没 |
飯塚 観松斎 | | | 印籠蒔絵師で蒔絵の中に珊瑚珠などを嵌入する事を工夫した | |
小島 漆壺斎 | | | 松平不味の用命を賜り 名工の名が高い | |
勝軍 木庵 | | | 不味の御用を賜り 本名を宗一という 好みの棗類を作る | |
松ヶ枝 不入 | | | 茶事をもって不味に愛されたがその藩に 入らなかったのでこの名が有る 晩年京都に住み神ガ丘を名乗り 漆器細工を余技とした | |
古満 寛斎 | | | | 天保6年69歳没 |
柴田 是真 | 東京住 | 江戸後期から明治 | 帝室技芸員 絵画の中でも、特に絹本に漆絵を良描いた | 明治24年没 |
白山 松哉 | 東京 | 明治 | 東京美術学校教授 帝室技芸員 精微な研ぎ出し蒔絵には定評があった | |
渡辺 喜三郎 | 東京 | 明治2年生まれ | 5代目に当たる。薄い作りと薄塗りの切れの良い塗りに特徴がある 弟子に赤地友哉 田所芳哉がいる | 昭和18年没 |
守屋 松亭 | 京都生まれ 東京在住 | 明治23年生まれ | 白山松哉の弟子 精密で堅実な技法だが穏やかな作風もみられる | 昭和47年没 |
中川 哲哉 | 天童生まれ | 明治30年生まれ | 中村宗哲 植松包美 六角紫水に ついて修行する 乾漆技法について研究 上品で個性的な作品を作る | 昭和51年没 |
松波 保真 | 金沢生まれ | 明治15年生まれ | 漆芸の特色は精巧で複雑な形の器にある 定規と引き箆を用いた仕事による角の仕上げ 鋭角的な引き締まった稜線が特徴 | 昭和29年没 |
金城 一国斎 初代 澤木正平 | 伊勢松坂白粉町 | 1777年生まれ | 後年大阪に出て漆器の製法を学び文化8年に名古屋に入り 尾張家御用塗師となる | 1851年没 |
二代 中村一作 | 生誕不詳 | | 諸国を遍歴し 長州藩に召し抱えられ 広島で木下兼太郎に技を教える | |
三代 木下兼太郎 | | 1828年生まれ | | 1915年没 |
四代 池田亀吉 | 広島生まれ | 1876年生まれ | | 1961年没 |
五代 池田勝人 | 広島生まれ | 1906年生まれ | | 1991年没 |
六代 池田長昭 | 広島生まれ | 1937年生まれ | 金城一国斎 初代より現七代目については左の部分をクリックして下さい【金城一国斎師ホームページへリンク】 | 1991年没 |
赤地 友哉 | 金沢生まれ | 明治39年生まれ | 重要無形文化財保持者 きゅう漆技法に優れる | 昭和59年没 |
増村 益城 | 熊本県生まれ | 明治43年 | 乾漆素地を得意とする 麻布を芯として厚く下地を作りそこで形を決め漆塗りで細かいところを仕上げた | |
前 大峰 | 輪島生まれ | 明治23年 | 沈金技法の第一人者 重要無形文化財保持者 | 昭和52年没 |
磯井 如真 | 高松生まれ | 明治16年 | キンマの技術に優れる 重要無形文化財保持者 | 昭和39年没 |
松田 権六 | 金沢生まれ | 明治29年 | 蒔絵の表現能力を飛躍的に高めた 日本芸術院会員 重要無形文化財保持者 文化功労者 | 昭和51年没 |
高野 松山 | 熊本県生まれ | 明治22年 | 蒔絵の技術に優れる 重要無形文化財保持者 | 昭和51年没 |
山崎 覚太郎 | 富山県生まれ | 明治32年 | 日本芸術院会員 文化功労者 | 昭和59年 |
磯矢 阿伎良 | | 明治37年 | | 昭和62年没 |
久保 金平 | | 明治35年 | | 昭和43年没 |
中川 哲哉 | | 明治30年 | | 昭和51年没 |
山永 光甫 | | 明治22年 | | 昭和48年没 |
奥出 寿泉 | | 大正5年 | | 昭和48年没 |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
| | | | |